鞄に入れたい次の本

読書が好きな大学生の備忘録。週に二、三回更新できれば御の字。今の自分に追いつくまでは読んだ時系列めちゃくちゃです。

本の読み方(小説)

 

 こんばんは。今日は本の読み方の後編、小説についての僕の読み方を書きたいと思います。前回の学術・ビジネスとは異なり、「楽しむ」という事を主体においているので、それぞれが一番楽しめる方法で読んでいただくのが一番なのですが、個人的なお勧めを書かせてもらいます。

 

 前提として小説を読む事は己との対話だと思っています。何故かというのは末尾の方で記させていただきますが、この記事を読む事で、読者の皆さんが何か一つでも得られるものがあれば良いなと思っています。

 

最も大事にしている事

 どんな小説作品を読むにあたっても僕が大事にしている事は、

 

・頭の中を空っぽにして、作品世界に入り込む

 

 という事です。度々作中に登場する楽曲を聴きながら作品を読んだりするのは、この考えが元になっているからなのですが、文学作品はその世界に没入してこそ魅力を最大限に享受できると思っています。

 頭を空にする事は、物語の展開する世界に入り込むために非常に大事になってきます。物語が一人称、三人称のいずれであれ、そこには著者が選び抜いて記した言葉が並んでおり、作品世界の常識や思考が構成されています。それを上手く享受していくには、自分の凝り固まった考えをゼロにして全ての言葉を受け止めてこそ純粋な作品の世界に入り込めるのです。そうやって、ありのままの自分の感性で受け止める。

 例えばですが、未来が舞台の作品で人類が宇宙からの侵略と闘う話で”こんなことあり得ないよ”とか思ってしまうと元も子もないのと同様です。(僕自身は想像するのが難しいので、あまりこう言う系は読まないんですけどね笑)

 

読書中の事

 

 その意識を持って読書に望むのですが、読書中はひたすら頭の中に情景を描いていきます。記された言葉で頭の中に世界を構築して、その中での登場人物の振る舞いや周辺の映像を作り上げていくのです。そしてたまに出会す「言葉足らずだな」と思うところにこそ、読書の面白さが孕んでいます。そこは自らの過去の経験や記憶から補填せざるを得ないです。(ここで補填するのは考えではなく情景です。考えまで補填すると、上記の準備が無駄になってしまいます。)しかし、その作業があるからこそ、人によって物語の受け止め方や物語に対して抱く感情が異なってくると思っています。個人的に、言葉で説明しすぎる作品はただのエンターテイメント作品であり、少ない言葉でも本質を失わずに読者の想像力を働かせる作品こそが至極の作品だと感じています。

 また、この作業の中でも読書の面白さが存在しています。それは異なる作品でも、著者が同じであれば情景の描かれる点が似ていたり、自分が補填する場所がわかるようになってくる事です。ストーリーの好みを著者との相性という人はとても多いですが、僕はこれこそが著者との相性を如実に表す部分だと思っています。なぜなら空白を埋めることが難しい場合はやはり読み進めるのも難しくなり、頓挫しやすく、開けられた空白が自分の中で埋め易い物であればあるほど読み進めるのも楽で世界観を享受し易いからです。

 

 次のポイントは、一気に読んでしまう事です。自分が日常生活で抱く感情やその時の感性というのは極めて一過性のものです。延々と引き伸ばしてしまうと、頭の中で思い描いていた情景が都度移り変わってしまいかねません。そうなると、最後の余韻を感じることが難しくなってしまいます。これは個人的な経験談ですが、一つの作品を何日もかけて読んでしまうと、作品に対する感情よりも、作品を読み切ったことに対する達成感の方が大きくなってしまう事も時としてあります。どうしても時間に制約があり難しい場合は、最低限、他の作品(TVや映画も)を一切間に挟まない事で、頭の中の絵を崩さない事をお勧めします。

 

読書後

 最後に、読了後は短い感想であれ何かを書き記す事も大事だと思っています。僕もこれは今年始めたばかりなのですが、アウトプットをする事で自分の感情の整理がつくようになりました。思い出しながら書いていると、自分が印象を受けた箇所というのは頭の中に蘇ってくるものです。そうやって「自分がなぜこの箇所を覚えているのか」を掘り下げて考えていくと、思いもよぎらなかった自分の過去との共通点であったり、自分の考えとの親和性を発見することができます。

 

最後に

 最後の段落で書いた事こそが、「読書は自分との対話になる」と考える理由です。出来事に必ず因果関係があるように、人の感情にも因果関係があります。感性は一瞬で形成されるものではなく、過去の全ての経験が礎となって形成され、常に変わり続けていくものです。そんな移り変わりのし易い感性を、作品を通して都度見つめ直していくことこそが読書の至上の喜びなのではないでしょうか。

 

 さて、ここまで偉そうに長い駄文を綴ってきましたが、以前の記事でも書いたように「読書」は別に形を問うものではありません。それぞれが自由に文字の世界に浸り、自由な読み方で想像を巡らせてこその行為です。今回は僕自身の本の読み方を書かせてもらいましたが、皆さんも自分の読み方を見つけて、そこに見つけた楽しみを大事にしてくれれば何よりだと願っています。